自分自身にだけは嘘はつけない
はじめに
「自分自身にだけは嘘はつけない」
特に30代を超えるくらいから実体験として思っていることです。たまたまドストエフスキーの「罪と罰」に最近また触れる機会があり、改めてそのことを感じたので罪と罰を交えつつ取り留めなく書いてみたいと思います。
ドストエフスキーの罪と罰
「罪と罰」って聞いたことあるけど何ぞや?という方にはまずはこれ。
実際に原書を読まれたことがある方も少ないかと思いますが、何と私大変珍しいことに原書を読んだことがありました。しかし、その時の印象と言ったら「なんじゃこれ、なんて難しいんじゃ」という印象しかありませんでした。
※以下、ネタバレを含みます。
今後読まれる予定のある方はあらかじめご了承頂くか、そっ閉じしてください。
まず最初に、この作品、大変長い。そして登場人物の人名が全然ピンとこない。ロシア語圏の文化なのか人名もミドルネームやあだ名が別途ありそれが入り乱れるもんだから会話シーンでも全然人物のイメージが出来ないんですよね。心理描写も大変緻密で長いので、そのへんはザックリ斜め読みでもいいので、とりあえず読み飛ばしながら読んでみるといいと思います。
そうして我慢して何となくあやふやなままでもいいので無理やり読み進めていくと半分を超えたあたりから何となく話の筋は分かるようになってきます。
不幸な状況が積み重なり、金銭的に困窮し殺人を犯してしまった主人公が色々な状況が重なって心理的にドンドン追い詰められていくんですが、同じように貧しく不幸な境遇にありながらも誠実に人生と向き合い、神に祈りを捧げて過ごす少女ソーニャとの出会いが次第に主人公の救いとなっていきます。
もうこのソーニャちゃんが女神というか、作中きっての光属性。彼女の存在がひときわ印象に残る作品だった印象です。主人公が苦悩する中彼女だけは彼の苦しみを理解し、ともに歩もうとしてくれます。
ソーニャちゃんマジ天使
色々な偶然が重なり、主人公は最終的に自分が殺人を犯したにも関わらず、別の人物が殺人犯として自白をしたため法の下では裁かれない状況を手にします。自分さえ黙っていれば罪には問われない、あるいはその罪を隠したまま逃亡することすら可能な状況が整います。
しかし、彼はソーニャにだけは自分の罪を告白し自責の念に駆られて苦しんでいることを吐露します。確かに黙っていればやりすごせるかもしれない。逃げおおせることが出来るかもしれない。しかし、ソーニャは言います。自首しましょうと。私もついていきますからと。
最終的には彼は自分の罪を認め、自白し罰を受けます。しかしその傍らにはともに歩むと約束してくれたソーニャが常に寄り添い一抹の救いが描かれています。
罪は人が感じるもの。罰は人が作ったルール。
当時この「罪と罰」を読んだときにはあまりピンと来ておらず、「難しいが後半面白かったなぁ。サスペンスだなぁ」という程度の感想しか持っていませんでした。
しかし今改めて触れて見直してみると、この「罪と罰」という題名が本当にビシッとハマってるなぁと改めて感心しました。
罪とは人が抱く自責の感情であり、罰とは単なる法律や社会の定めたルールです。
殺人すらもし合法な国や文化の下で育てば、もしかすると人は何も感じずに平気で人を殺すようになるかもしれない。しかし、罪とはつまり自分自身の感情、自責の問いから生じる感情なのだと今回改めて思いました。
罰則なんてしょせんはルールです。法律や証拠が揃わなければ、立証が出来なければ罰は適用されない。しかし、人間にはどんなに完璧に周囲を欺いても自分自身にだけは嘘をつくことが出来ない。自分だけは全てを知っている、見ているから。
もし仮に何をしても罰則に問われないなら、人はどうなるのか?
殺人でも強盗でもなんでも好きなようにやっても罪に問われないとしたら?
犯罪に手を染める人も恐らくいるでしょう。もしかすると無法状態になってしまうかもしれません。しかし、そうでない人も少なからずいるはずです。その違いにあるのがモラルであり、人間性であり、人間の光の部分、似たような状況でも主人公とは全く違った行動をとったソーニャが持ち合わせていた光なのだと思います。
そして私はそんな光の側に出来れば立ち続けていたいと思うのです。
自分自身にだけは嘘はつけない
私は若い頃にそれなりにやんちゃなことをしてきたと思います。法に触れるようなことはしたことはありませんが、世間一般からみてあまりよろしくないことに手を出したことが絶対にないとは言いきれません。
平気で嘘をついて誰かを傷つけたり、直接的ではないにせよ結果的にひどい仕打ちをしてしまったこともないとは言い切れません。自分をよく見せようと間違いをうやむやにして逃げたことだってあります。
しかし何時の頃からか、そうした周りに見せてる自己のイメージと実際の自分との乖離に苦しむようになりました。自分の嘘が自分自身を苦しめ、それに疲れてしまっていることに気付きます。
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自分が素の自分のままで入れてもらえる環境に自分を移そう。嘘をつくなら人を守るための優しい嘘を。自分自身を欺いたり誰かを傷つけるような嘘はつかないようにしようと心がけてきたのは今の会社に入ってしばらくしてからだったかと思います。
おかげで会社に行くこと自体は苦痛ではなくなりましたし、少しづつ自己実現も出来るようになっていったように思います。「人間は絶対に自分自身にだけは嘘はつけない生き物なんだ。だから自分にも他人にもなるべく正直に、誠実に生きよう」って、強く思ったのはそんな30代の頃だったと記憶しています。
ですから、私の30代は今本当に充実しています。嘘と見栄に苦しんだ若い頃には絶対に戻りたくないです。
今回昔読んだ「罪と罰」に触れて、そんな普遍的なメッセージを改めて噛み締めなおしました。やっぱり一度読んだ本は時間をあけてまた読んでみるものですね。
なかなか原書はハードルが高いのでもしご興味を持たれた方は、オリラジのあっちゃんこと仲田敦彦さんがYoutubeで面白くまとめてくださっているのでぜひそちらをどうぞ。あっちゃんの大変魅力的な演技と心理描写に引き込まれること請け合いです。
人は自分にだけは嘘がつけないからこそ、誠実に生きたいものです。