凡人のセルフマネジメントについて考えてみる
はじめに
セルフマネジメントと聞くと、なんだか自己啓発本やセミナーかな?という印象を持つ方もいるかもしれませんが、最近私はセルフマネジメントの重要性について思いをはせることが増えました。
5/25 18:00に緊急事態宣言が解除されましたが、在宅勤務が来月で3か月目に突入する私は「今後も在宅勤務とオフィスワークの両方」を柔軟に選べるように会社に要望するつもりです。
在宅勤務を続けていると、自分の時間の使い方について自分で管理しなくてはいけません。このブログも今のところ毎日更新を続けていますが、時間の捻出、インプット・アウトプットの時間をどう作るかも大切です。
私が自身の体験として感じる「セルフマネジメント」について今日は書いてみたいと思います。
人間は矛盾だらけの生き物
これはもう本当にそう思います。自分自身が何たる矛盾の塊なのかと。
ブログを書きたいなと思いネタを探そうとネットサーフィンを始めたら、気が付くと全然関係のないブログや動画を2~3H眺めていて1文字もかけていない私。
この仕事を今日中に終わらせなきゃと思いながら、気が付くとお菓子を食べてゲームし、実況動画を見て無為に1日を終えてしまった私。
健康のためにやった方がいいと風呂上りにストレッチを始めるも3日坊主で続かない私。
・・・なんだか列挙し始めると悲しくなってきましたね😢
しかし誰にでも当てはまる、誰にでも経験のあるこの矛盾した行動こそ人間そのもののように思います。人間は本能的に楽をしたがる生き物で、そのためなら自分の気持ちにすら嘘や理由をいくらでも作り出せる生き物なのです。
もうそれなりに人生を生きてきましたから、そんな矛盾した自分を許せるようにもなりましたし、本当に大事な時にはちゃんとケジメを付けて行動することだって出来るようにはなりました。
しかし、何か自発的に新しいことや目的に向かって進もうと思った時には私たちはこの矛盾した自己との戦いから始めないといけません。自発的に何かをやる場合は誰も強制してくれないし、お金や利害関係が発生するわけでもない。自分の矛盾を説得し説き伏せて行動に移す強制力は自分自身で戒めることでしか生まれないからです。
自発的な行動の前に立ちふさがる本当の敵、ラスボスは自分自身なのです。
自分をコントロールする難しさ
ではなぜ私たちは自分の中にこんなに厄介な矛盾を持ち合わせているんでしょうか?
様々な意見があると思うのですが、私はきっとその原因は「感情」にあると思います。
突然ですが、皆さんは座禅って体験したことってありますか?
実は私は20代のころ不動産会社の営業マンをしていた時、朝起きるのが大変苦手でしょっちゅう大小の遅刻をやらかす遅刻魔でした。遅刻の理由は今思い返すと単純に「仕事に行きたくなかった」から。
仕事内容がハードだったのもありますが、故郷を離れ地縁は一切なく、会社以外に誰ともつながりのない場所で仕事そのものに疑問を抱いていた時期でした。モチベーションは最低でした。
そんな私を何とかしようと、当時の事務所の課長が私を座禅に連れて行ってくれたことがありました。
こちらのお寺で今も実施されている早朝坐禅会に、私は毎日行くことを義務付けられました。早朝5時にお寺に集まり、40分の坐禅と20分の談話を聞いて、それから会社に出社するというコースを半年ほど続けたことがあります。
半年通った結果キチンと朝は起きれるようになりましたが、夕方の会議や商談中に居眠りをするようになり結局坐禅の強制はなくなったのですが(笑)
私は無宗教ですが、坐禅自体は大変興味深く面白い経験をさせてもらったなぁと今でも当時の課長には大変感謝をしております。課長、本当にありがとうございました。
話がそれました。
この坐禅生活で私が気付いたのは、人間は自分自身の中に本当に信じられないくらいの感情の渦を持っているということです。
ただ坐禅を組み目を閉じているだけなのに、昨日の夕食の感想、ふとすれ違った人への感想、仕事に行きたくない気持ち、昔好きだった人への憧れ・・・。どれもこれも繋がりもない、とりとめもない感情たちがもう洪水のように渦巻いているのを感じることができます。
どれか1つの感情について思いを巡らすと、それがまた更に別の感情を芋づる式に引き出していく。本当にキリがないのです。寝苦しい夜に寝付けなくて延々と湧き上がる感情や不快感がぐるぐる回るような。そんな感覚になります。
坐禅で大切なのはそんな感情の渦を手放し自由になること。湧き上がる感情を否定も肯定もしない。ただその渦を見守りどの感情にも無関心のままでいること。うまくいくといつの間にか感情の渦が収まり、何もない静かな海の上で漂っているようなクリアな気持ちになることができます。
クリアな気持ちになると色んな事をフラットな視線で見ることが出来ます。今でも私は、自分の気持ちが散らかってるなと思った時は寝る前に坐禅を組むことがあるくらいです。騙されたと思ってぜひ一度やってみてください。気持ちいいですよ。スティーブ・ジョブズも禅やってたくらいですしね。
何が言いたいかというと、私たちは普段からそんな感情の渦に翻弄されて生きていることを指してると思うのです。わざわざ坐禅を組み、静かな環境を整えて40分もかけないと人間の心は感情から自由になれない。それほどまでに感情は時に暴力的に人間を突き動かし操り、正常な判断をできなくさせるのです。
感情は脳の偏桃体という場所が発生させており、「瞬時に判断をさせる瞬発力」と言われています。目の前で事故が起こった時など考える時間もなく咄嗟の判断をしないといけない時には偏桃体の判断に任せると結構いい仕事しますよという機能です。
しかし、じっくり理論的に考えて行動に移すことが好ましい場合、時として感情は邪魔になるのです。偏桃体の働きを抑制するのは前頭葉だそうですが、前頭葉を働かせこの厄介な感情を制さなければ自分をコントロールすることは難しい。私たちは本当に御しがたい生き物なのです。
TPSの視点を自分の中に持っておく
具体的にはじゃあどうすればいいのか?それは「自分の中にTPSの視点を持つ」ことじゃないかなと私は思います。ゲーム用語なんですが、Third Persion Shootingのことでしてつまり第三者的な視点を自分の中に持ちましょうってことですね。
※こちらから画像お借りしました。PUBG会社の仲間とやってます(*´ω`)
FPSの視点で見ていると物事は自分の視点からしか見えませんが、TPSの視点になると視点があがり視野が広がります。自分の目線とそれを少し上から覗き見るような視点の両方を持つことが何事にも大事なんじゃないかなと。いきなり神の目線を持つのは凡人にはできませんが、TPSくらいの目線だったら持てそうな気がしてきませんか?
「あーめんどくせーなー」という気持ちは自分の目線であり感情です。ですがそんなめんどくさい気持ちを持った自分は第三者から見ればどう映るのかを考える。
何かアウトプットしようとしたとき別の人間が見たらどう見えるかを考えてデザインする、文章を推敲する。そういった第三者的な目線を感情と切り離して持っておくこと。これが我々凡人に出来るセルフマネジメントじゃないかなと思いました。
もちろん感情は自分自身の大切な気持ちです。あまり感情をのけ者にしているとそれはそれでストレスになりますので、時には感情に任せてだらりとする時間を持ってもいいでしょう。その代わりちゃんと時間を区切ってあげて時間が来たらまた元に戻すといったバランス感覚が持てるとより充実すると思います。
まとめ
- 人間は矛盾だらけ。矛盾の塊だが、それは普通のことである。
- 矛盾の原因は感情に振り回されているからかもしれない。
- 人間の中には自分でも制御できないくらい感情の渦が渦巻いている。
- 禅のようなメソッドを使わないと制御できないくらい感情の渦は強い。
- 感情を制御しTPS的な第三者的視点を持つことが大事。
>それこそ凡人に出来るセルフマネジメントではないだろうか
SNS疲れやSNSに振り回される人々も、もしかするとこの感情の渦やセルフマネジメントで説明が出来るかもしれないなぁと最近思ってます。うまくまとめられそうならまた挑戦してみたいと思います。